知っていること、できることをわきまえる? 論語から学ぶ、今できることに全力を注ぐこと

仕事に遊びに趣味に生活に全力をつくしてますか?

全てにおいて完璧にこなしてやると考えていますか?

何事にも全力でとりくむのは良いことですが、全て完璧にこなそうとなると無理があり大きなミスを招くこともあります。

そこで今回は無理しすぎず、ミスを招かないよう、『今できることに全力を注ぐこと』について話をしていきましょう。

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 今できることに全力を注ぐとは 

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論語で有名な孔子はこう言っております。

「子曰く、由よ、女に之を知るを誨えんか。之を知るをば之を知ると為し、知らざるを知らずと為す。これ知るなり。」

・・・毎度のことですが何を言っているのやら。

わかりやすく言うと・・・

「孔子曰く、由(子路)よ、お前に『知る』ということがどういうことなのか教えよう。それは、今自分が知っていることを知っているとし、まだ知らないこと、身につけていないことを知らないとはっきりとさせておくことである。これが次への成長につながる『知る』ということなのだ」

ということです。

簡単に言うと、知ったかぶりはダメですよってことですね。

そのあたりを詳しく話していきましょう。

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 知っていること、できることをわきまえる必要 

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数多い孔子の弟子の中で、子路(由)は最も兄貴格の存在であった。性格が真っすぐで、孔子もその正直さや行動力を愛したが、勇猛すぎるところがあった。孔子と同じように立派な体格の持ち主であって武勇に優れていたが、思慮に欠けがちなところがあり、背伸びしたり、無理しすぎるところもあった。先生の孔子に対してもずけずけ直言したりしていた。

孔子が最も学問が好きな弟子として評価したのが顔淵だったが、若くして死んで孔子を嘆かせた。その死に「ああ天が私を滅ぼした。天が私を滅ぼした」といったほどです。

論語の中にその顔淵に孔子が次のように述べ、それを聞いた子路が負けじと孔子に言うが、たしなめられたところがある。

『子、顔淵に謂いて、これを用うれば則ち行い、これを舎つれば則ち蔵る。惟だ我と爾とのみ是れあるかな。子路曰く、子、三軍をやらば則ち誰と与にせん。子曰く、虎を暴ち河を馮り、死して悔いなき者は、吾れ与にせざるなり。必ずや事に臨みて慴れ、謀を好みて成す者なり』

わかりやすく言うと・・・

「孔子が顔淵に向かって曰く、自分を認めて用いてくれる人があればこれに応えて働き、認められなければじっと隠れて修養に努める。このようなことができるのは私とお前だけだろう。これを聞いた子路がたずねて曰く、もし先生が大国の軍隊を動かすとしたら誰と一緒になさいますか。孔子曰く、虎と素手で闘ったり、黄河を舟なしで泳ぎ渡ろうとしたりして、死んでも後悔ような者(つまり子路のこと)とは一緒にやらないよ。戦争となれば事前に慎重に考え抜いて、必ず勝つように準備、計画し、謀って成功するような者と一緒にやるよ」

ということです。

孔子は軍事の専門家ではないから軍を語るのはできるだけ避けてきたが、いわゆる孫子の兵法と同じ発想をしていました。つまり負ける戦争はしてはいけないと考えていたのです。

孔子は、可愛い弟子である子路の良いところでもあり欠点でもある、負けず嫌いと直情径行的な性格を、しばしばたしなめ指導していました。その1つが今自分が知っていること、できることをきちんとわきまえ、それに打ち込めということ。そしてその実践の中に次への課題、できていないことへの対策と修行をどうしていくかがよく見えてくるそうです。

すべてを一気にやってしまおうとすると無理が生じ、余計なトラブルや身の危険を招くことになると教えています。

私もつい背伸びをしてしてしまい、今自分が知っていること、できること以上をやろうとして失敗したことがありました。負けん気が強かったりチャレンジ精神があるのは良いのですが、大きなしっぺ返しをくらうことがありますので、背伸びしすぎはやめといたほうがいいです。

それよりもやはり今の自分にできることに集中し、全身全霊で向かっていきましょう。その結果が良くも悪くも、自分を戒め、修正点や改善点を取り入れることで道が開かれてくるのではないでしょうか。