やってやれないことなんてない? 論語から学ぶ、思いを実現させる方法

突然ですが、「やってやれないことはない」なんて言葉、聞いたことありませんか?

本気出してやれば大抵のことはできるといった感じでしょうかね。

たぶん大きくは外してないと思いますが、なんか違う気もします。

今回はそんな「やってやれないことはない」精神で思いを実現させる方法について掘り下げていきます。

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 やってやれないことはない 

論語で有名な孔子はこう言っております。

「子曰く、仁、遠からんや。我れ、仁を欲すれば、斯に仁至る」

・・・いや、全然なに言ってるのかわからん。

わかりやすく言うと・・・

「孔子曰く、目指すべき最高の人格ある仁は、手の届かない遠くにあるものだろうか。いや、そうではないだろう。今、自分が仁をつかもうと欲し努力をすれば、すぐそこの、まさに自分のところに仁は存在するのだ。」

ということです。

 

自分が目指し思い描いているものや、手に入れたいものがどんなに大きくても、実現させるべきものであれば、何が何でもやり遂げるように努力していかなければならないのです。

そうすると、今の自分に何が足りていないのか、またどれだけの努力が必要なのかも見え始めてくる。

最初からあきらめてしまっていたら、何も実現できないのだと孔子は教えています。

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 行動・実践あるのみ 

孔子が昔の恋愛詞について語っているものが論語にあるようです。

「唐棣の華、偏として其れ反える。豈に爾を思わざらんや。室、是れ遠ければなり。子曰く、未だこれを思わざるなり。夫れ何の遠きことかこれあらん。」

わかりやすく言うと・・・

『「庭梅の花がひらひらとゆれている。それを見てあなたを恋しいとは思うけれども、あなたの家が遠すぎて」という古い詞を口ずさみ、孔子曰く、それはまだ本当の思いではない。本当に思うのであれば、家が遠かろうと何とかすることができるものだ。』

ということです。

 

マジ本気で実現させたい思いがあれば、それ相応の行動、実践がなされるべきものであろうということを孔子は言いたいのです。

孔子のこの教えは、後世になって『知行合一』の教えにもつながっていました。              (知行合一:行動、実践ができなければそれは知ったことにはならないということ)

 

あながち、最初に私が言っていた「本気出してやれば大抵のことはできるといった感じ」も間違いではなかったように思えますね。

いや~でもほんとにね、そうだと思いますよ。例えが合っているか自信ないですが、すごく好きな人にめちゃくちゃ会いたいときなんて、朝早かろうが夜遅かろうが距離が遠かろうが関係なしにすっ飛んで行きますよ。(相手に迷惑かけることもありますが・・・)

私は釣りも好きでやっているんですが、その日の目標に届かなくてもめげずに次回、またその次、その次・・・と何が足りていないのか、悪かったのかを考えながら次こそは何とかしようと行動と実践を繰り返しています。

簡単には成果に結びつかないこともありますが、あきらめたらその時点で終了。何も実現できないんですよね。

何もせずに最初から簡単にあきらめるなってことですね。

人生あきらめずに行動&実践あるのみじゃー。(疲れたら適度に休みましょう)